水曜日, 10月 12, 2005

Linux

Linux信者の話を聞いていると今のGNOMEMac OS Xにならんだとかさらにはそれを超えたとかいう話を聞く。しかし、本当にどうだろうか。まあ、日本語フォントが汚いという問題はいろいろあったのでしょうがないとして、、

まず起動、終了画面でLinuxはコンソールを隠しきれていない(特に終了画面)。パワーユーザーにいわせれば「そんなの関係ないじゃん」とかいわれそうだが、初心者ユーザーから見れば黒地に白い字というグラフィカルでない組み合わせは恐怖心をかき立てる。いかに機能的であるかというのも大事だが、それと同じくらい大事なのは見た目が美しく、どうすればどの機能が使えるのかということである。黒地に白文字では慣れない人にはパソコンがクラッシュしたと勘違いしてしまうこともある。
Googleなどで検索をかけて検索文字列がURLエンコードされたものをバグだと思っている人もいる。そのようにコンピュータの内部で何が行われているのかをよく理解していない人は、たとえそれがコンピュータにとって自然なことであっても人間にとって不自然であればおかしいと思ってしまうことはよくある。これは自然な発想であり責められるものでもない。ソフトウエア開発者はいかにコンピュータの不自然な部分を隠しきれるか、その力量が問われるのだと思う。
まあ、そんなに簡単に出来たら苦労しませんけどね。自分で出来る範囲のことはやっているつもりです。

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